7. 文学テクストの指導と解説

文学テクストはLiteratureまたはLALどちらのコースでも重要です。Litでは全てのテクストが「文学」ですから、これらのテクストをどのように指導していくのかということは、授業全体を支配する特に重要な要素です。また、指導に決まった一つの方法はありません。このコーナーでは私が約40年間IBDP「文学」を教えてきた方法をご紹介すると共に、種々の文学テクストの解説も試みます。
解説に使用するテクストは出版社や版を特定しません。論文ではないので引用はできる限り間接引用にして、数字やデータ等に関しては特に注を付けません。必要があれば調べたり皆で議論したりしてください。また解説はキーワードを中心にして、私の解釈を中心に進めます。それを前提にしてお読み下さい。
【文学テクストとの出会い】
一冊の文学テクストとはどのように出会うのでしょうか。昔でしたら(もちろん今でもそのような人は多いかも知れませんが)書店を訪れて、冒頭を読んだり、帯の言葉を見たり、書店員のお勧めを聞いたりして、とにかく一冊の本を手に取って確かめてから購入したはずです。もちろん学校や地区の図書館を活用する場合もあるでしょう。両親や教師、知人に勧められたりすることもあります。「推し」が好きだと言っていたから読みたいなどということもあるでしょう。読んだ本が気に入って、同じ作家の他の作品を読んでみたり、中に出て来た本を買ってみたりすることもあるかもしれません。本との出会いは、至る所に潜んでいるはずです。
IBDPでは課題図書として文学テクストがあります。生徒はそれを読まなくてはなりませんし、教師は何を課題とするか決めるために多くの書籍を読む必要があります。課題を決定してからも、より深い理解のために様々な文献を読む必要があります。生徒は少なくともIBDPを含む数年間、教師はIBを担当している数年〜数十年間、文学テクストと付き合うこととなります。どちらにしろ、人生の中で大きな割合(精神的、物理的)を占めることとなります。このような大切なテクストをどのように読んで、指導する(生徒ならば学ぶ)と良いのでしょう。
【文学テクストの読み方】生徒
文学好きで普段から本を読み慣れているのならば、特に問題はありません。DPの課題テクストを早めに入手して、授業が始まる前に(例えばDPが始まる休みや、DPの途中にある長い休み)読んでおけば良いでしょう。では、余り本が好きではない、または本を読む習慣ができていない場合はどうしたら良いでしょうか。いくつかアドヴァイスがあります。また以下のアドヴァイスは読書の習慣がある生徒にも大切な部分があります。
ーDPが始まる前でしたら、身近にある本を読み始めて下さい。苦手なのに、すぐに文学テクストを読もうとすると、退屈したり、分かりにくくて投げ出したりする可能性があります。まずは自分が興味のある本に手を伸ばして下さい。例えばスポーツ(サッカー)が好きならば、推しの選手に関係する伝記やサッカーが出てくる物語など。音楽が好きならば、K-POPの推しにまつわる物語や本人が書いた文章など。自然が好きならば、山にまつわる物語や、散策をまとめたエッセイなど。大切なのは、映像ではなく活字を読む事です。理想は「本」の形ですが、入手が難しかったり、予算の都合があったりすれば、デバイスで読んでも構いません。とにかく活字に慣れることが重要です。
ーDPの課題テクストのリストを早めにもらって、作品を入手し(やはりできたら本が良いです)学校の授業で使う前に必ず読み上げましょう。これができるかどうかで、テクストの理解も、成績も強く影響を受けます。読んでおけば、教師の話すことも良く理解でき、疑問点があれば質問をすることもLearner Portfolioに書き込むこともできます。どうせ授業でやるから読まなくてもいいや、と考えて未読で授業に臨むと、教師の説明を理解するのに時間と努力が必要ですし、それを何とか覚えようとしてしまい、テクストの理解のレベルが低くなってしまいます。必ずテクストを読んでから授業を受けて下さい(SSSTの生徒は自分で読むしかありません)。
ーDPで高得点が必要ならば、課題となっている文学テクストのみならず、その作家の主要作品や、課題テクストに関する文学評論も読んでいきましょう。例えば安部公房の『砂の女』がテクストだとしたら、他の主要作品である『壁』、『他人の顔』、『燃えつきた地図』、『箱男』等を読み、クレス出版の「安部公房作品論集」等の代表的な文学評論も読みましょう。これは難しいことですし、大変な努力が必要ですが、良いことが沢山あります。まず語彙が増えます。それによって、各種試験の評価規準Dに関する言語レベルが上がります。同様に、文章が上手になりたいと思ったら、質の良い文学評論を読み込んで、文の長さ、リズム、文末表現、接続詞、構成等を真似するのが良いです。そして、文章理解力がアップします。もし日本語が第一言語かそれに近いならば、日本語力が上がるにつれて、英語力も上がります。人間は言語を使用して物事を考えます(TOKの課題によく出ます)。それ故に、第一言語力が上がらないと、複雑な思考ができません。日本語力の向上は他の言語力の向上につながり、全ての教科に良い影響を与えます。
ーテクストを読んでいくうちに、面白いと思った作品や作家に出会ったら、それを深く掘り下げて下さい。安部公房が好きになったら、文庫本になっている彼の作品を全て読むとか、似たテクストを書く作家(倉橋由美子などが面白いです。「女安部公房」等と呼ばれたこともあります)の作品も読んで見るとか、安部公房が関心を持っていた作家(カフカがそうです)にも手を伸ばしてみるとかして下さい。このようにして、あなたの文学の世界が拡がって行きます。自分が文系だと考えている人のみならず、理系の人も(理系の人こそ)必要です。安部公房などは東大の医学部に在籍していましたし、ある意味理系の作家です。理系の研究者になっても、文学や哲学に興味のない人は大きなミスをすることがありますし、非常に優秀な理系の研究者はほとんどが文学、哲学、音楽等が好きな人たちです。
【文学テクストの読み方】教師
ーIBDP言語Aの教師としてどのようなテクストを読んでいけば良いでしょうか。文学テクストの指導に関しては後述しますが、教師が読むべきもの(準備するべきもの)は数多く存在します。文学を教えるということは、人間を教え、世界そのものを教えることに繋がります。教える側に知識が不足していれば、生徒の指導は難しいです。もちろんどんなに優秀な教師でも、最初から優秀だったわけでも、知識が豊富だったわけでもありません。普段から努力し、生徒と真摯に向き合い、生徒から学んでいくうちに、知識も増えていきます。基本的に読むべきは、課題テクスト、同じ作家の主要作品、主要文学評論(その他の評論等が必要な場合はそれも読みましょう)となります。その他に、面白いテクストを探すために種々の読書が必要です。他の学校で使用しているテクストやワークショップで交換した情報によるテクスト、文学賞(特に芥川賞と直木賞)を受賞したテクスト、それらの中で興味をもった作家や作品の延長。そして上述しましたように数多くの「出会い」があるはずです。
ー文学テクスト以外にも種々の準備が必要です。授業の中で生徒に説明する必要のあることは無限に存在します。文化、政治、経済、医学、美術、音楽、スポーツ、どのような分野でも、生徒の質問に対して何らかの答えが出せるようにしておくことが理想です。そんなことは不可能だと思われるかもしれません。もちろん全てを知ることは不可能ですし、その必要もありません。要は、生徒が質問してきたときに、それをどのように授業に取り入れて、場を活性化させるかということです。そして、少しずつでも理想の形に向けて自分を成長させていけば良いと思います。そのための文学であり、文学の授業は何よりも生徒と教師の成長の場として認識すべきでしょう。IBの大きな理念に「全人教育」と「生涯教育」があるのも、そのためです。
ー日常生活でも注意が必要です。世の中の動向に目を配ることはもちろんのこと、毎日の主要なニュース、住んでいる国、地域の特色、生徒たちの関心のある事項についての情報、自分の好きなものについての最新情報(私ならばワインやアニメ、文学書等です)にもアンテナを張りましょう。そして、五感を使って世界を敏感に感じる感受性を身につけることも大切です。自分が敏感にならないで、どうして生徒たちの感受性を伸ばせるでしょうか。私は生徒たちにいつも「街を歩け、美術館に行け、映画を見ろ、コンサートに行け、美味しいものを食べろ、そして恋をしろ」といつも言っていました。恋愛と死のない文学テクストは存在しないから、恋をして、死とは何かをしっかりと考えろ、とも話していました。教師も同じだと考えています。
【文学テクストの指導例】
夏目漱石の『こころ』の冒頭を取り上げてみます。私の授業では、毎年同じテクストを扱っても、前年と同じ授業は有り得ません。何故なら、生徒が違うし、当日の気温や状況が違うし、私の気分も違うし、生徒の状況も違うし、世界の状況も変わっているからです。もちろん状況がどれほど変化しても、テクストのテーマが変わるわけではありません。ですから、このテクストで生徒に伝えたいという根本的なテーマは変わりません。しかし、種々の違いや変化によって、そのテーマへのアプローチは変わってきますし、千変万化と言える程違う授業になります。ですからここで披露するのは「ある日」の授業ということになります。ある意味、松尾芭蕉の「不易流行」に繋がる概念と言えるかもしれません。
冒頭は「私はその人を常に先生と呼んでいた。」で始まります。まず「私(わたくし)」という一人称について生徒に尋ねます。「わたくし」という話し方をしたことがあるかどうか聞いて、返事によって話を進めていきます。経験者がいれば、どのような状況で使ったか聞いて、他の者の意見を求めます。そしてどのような印象を受けるか尋ねます。多分経験者は伝統的な女子校に在籍した者でしょう。だとしたら、何故そのように指導されたのか、またはそうしていたのか聞いて、そこから日本のどのような特徴が読み取れるのか議論します。探究領域の「時間と空間」にも繋がります。
男女共学と男子校、女子校について話が広がるかもしれませんし、階級によって使用言語が変わるかどうかについての議論になるかもしれません。後者の場合、私ならばフランスの階級社会と使用言語の違いについて話を進めます。例えばフランス語ではまださほど親しくない相手や目上の人には「vous(あなた)」という二人称を使いますが、親しくなったり家族の場合であったりすると「tu(君、お前)」を使います。しかし、かつて貴族階級であった家や、身分の高い人たちですと、家族などの親しい間柄でも「vous」を使うことがあります。また、文章の省略法や使用する語彙によって、話者の階級が分かる場合も多く存在します。パリに住んで長いフランス人ですと、話し方でパリの何区に住んでいる人かが分かるという説明もしたりして、生徒たちが住んでいる地域について知識や興味を持つように持って行きます。そして、フランス(フランス語圏)に長く住んでいる生徒で、日本語が第一言語レベルではないために発言の機会が少なくなっている生徒がいたら、このような時に知識を披露してもらい活躍の場所を作ります。
経験者がいなければ、You Tubeでも映画でもテレビでも漫画でも、どこで「わたくし」という言葉を聞いた(見かけた)か尋ねて、それによって「わたくし」という言葉にまつわるイメージを考察します。その上で「明治末期」という主なる舞台や、「私」と述べている語り手は大正か昭和初期にこの文章を書いていると思われるので、当時の「わたくし」のイメージと現在とのイメージの差について説明します。
次に物語・小説の語り手について考えてもらいます。基本的には一人称・二人称・三人称があるわけですが、何故一人称を使うのか(作家がなぜそのような設定をするのか)、三人称との違いは何か、二人称小説とはどのようなテクストのことか、等質問していきます。日本には一人称小説が多く、他の言語よりも発達していますが、その理由についても議論します。三人称小説では「神の視点」の特色、作家との関係等を一緒に考えます。二人称小説では手紙形式のテクスト、「きみ」、「お前」、「あなた」等の二人称で続くテクストの特色ついて考えたり、「潜在的二人称」と言われた太宰治作品の特色とその理由について議論したりします。流れによっては二十世紀後半の文学理論を紹介しながら、探究領域の「読者、作者、テクスト」について説明、議論となるのも良いでしょう。
これだけで一時間は経ってしまいますが、時間があれば「その人」とはどのような関係なのか尋ねます。「この人」でも「あの人」でもない中間距離の存在はどのような関係の人なのか。それぞれに考えてもらいます。また、「先生」と呼び、名前を示さない「私」の意図(作者の意図)は何なのか、先生と呼ばれる人はどのような人か、教師以外ではどのような職業か、それは正しいのか(政治家を先生と呼ぶ必要などあるのか?)などと議論を発展させていきます。
「不易流行」に繋がると前述しましたが、時間や空間を超越した永遠のテーマとも言える「不易」の部分(ここでは「私」という一人称の使用)を明確に意識しながらも、そこから派生する種々の要素(例に挙げた、女子校、性や階級による言語、フランス語等)である「流行」を瞬間的に捉えて活性化させることが、私が作り上げてきた授業方法です。お手本ではありませんが、一種の「見本」として(これは五木寛之の父親が自分の人生を息子に話す時によく使っていた表現だそうです)参考にして下さい。
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7. 文学テクストの指導と解説
文学テクストの解説 『華岡青洲の妻』 有吉佐和子
『華岡青洲の妻』は歴史小説です。歴史的事実を踏まえながら、作者の意図が反映されたフィクションです。ではこのテクストのどこに虚構が表現されているのでしょうか。そこにこそ作者の重要なメッセージが隠れているはずです。「嫁姑の争い」と「華岡青洲」をヒントにして検討してみます。世界に先駆けて全身麻酔に成功した実在の人物を通して、有吉佐和子が伝えたかったのは何かを考えます。
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文学テクストの解説 『異邦人』 カミュ
カミュの『異邦人』は内容の普遍性において、常にDPの代表的課題として取り上げられています。「不条理」というキーワードで括られてしまうことが多いのですが、もう少し具体化して、ムルソーははたして「異邦人」であるのか、裁判の過程で何が起こって死刑を宣告されるのか、エピローグの意味、等を深く考えてみたいと思います。そこから出てくる疑問や不条理なできごとについて、教室で深く議論したり、色々と調べてみたりしてください。
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文学テクストの解説 『人形の家』 イプセン
『人形の家』は長い間IBDPの日本語Aで扱われているテクストです。それにはいくつかの理由があります。一つはこの作品が戯曲であることです。英米文学と比較すると、日本文学には高校で扱い易い戯曲のテクストが豊富にあるとは言えません。また、十九世紀に書かれたものであるというのも、時代のバランスを取るために使い勝手が良い理由となります。そして、最大の理由はこのテクストのテーマの普遍性でしょう。社会における女性の地位がテーマとして普遍性を持つということは、少々残念ですが。何故なら、問題が無ければ大きなテーマとはならないからです。いつの時代でも重要なテーマであるということは、どの時代においても考えなくてはいけない大切なテーマであるということです。特に日本と比較すると種々の問題提起となるでしょう。 このテクストを「ノラの家出」、「リンネ夫人とクログスタット」、「ランク先生」という視点から考えてみます。
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文学テクストの解説 『キッチン』 吉本ばなな
『キッチン』が出版された時は驚きました。第一印象は「文学ではない」というものでした。当時としては文体が余りにも個性的で、口語的で、「文学」のイメージとはほど遠いものでした。しかし、その後パソコンが普及し、インターネットが日常となり、手紙よりもメールやSNSで連絡することが増えるに従って、吉本ばななの文体は特殊なものではなくなりました。その意味においても『キッチン』は画期的なテクストです。さらに登場人物の設定も斬新なものでした。いまでこそLGBTQ+などは普通に語られていますが、二十世紀末の日本ではえり子さんの存在はタブーに近いものでした。 種々の角度から分析可能なこのテクストを、「死者の役割」、「キッチン・食べ物」、「LGBTQ+」という観点から読み解きます。
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文学テクストの解説 『1984年』 オーウェル
オーウェルの『1984年』はディストピア小説ですが、コロナ禍で再び脚光を浴びていました。カミュの『ペスト』などのように、不条理な閉鎖状況に追い込まれた時の対処方法を学ぶことができるからでしょう。しかし『1984年』は、第二次世界大戦直後に書かれた「近未来小説」ですから、私たちにとっては既に過ぎ去った過去の物語のように見えます。ところが、内容は過去の事どころか、現在起こっているまたは近未来に起こるかもしれない恐ろしいものとなっています。それを「ビッグ・ブラザー」、「ウィンストン」、「三つのスローガン」という視点から読み解いてみます。
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文学テクストの解説 『人間失格』 太宰治
太宰治の『人間失格』は現在も変わらず最もポピュラーな文学テクストの一つです。DPでもよく取り上げられています。このテクストの中心テーマは、主人公の葉蔵が果たして本当に人間失格であるかということでしょう。それを考えていくと共に、葉蔵を理解するためには避けて通れない概念の「道化」について深く考察します。さらに葉蔵と太宰の人生に似ているところが多いために、「私小説」の問題も重要ですので、それについても考えてみます。