Paper 2 比較小論文 解答例(演習問題⑩)

Paper 2(試験問題2)とはどのような試験なのか。準備はどのように進めていくのか。試験で注意すべき点は。このような疑問について明確に説明します。また実際に出題されるような設問を示し、解答例(教師のみ)も掲載します。
- あなたの学んだ文学作品で、夢を持つことはどのように描かれ、どのような役割を果たしていましたか。二作品を比較対照しながら論じなさい。
この設問の解答例は、作品毎に論じるのではなく、共通点と相違点とを中心にした形で示します。
【解答例】
誰にとっても夢を持つことは人生の重要な要素であろうが、それは文学作品においてどのように描かれ、夢の果たす役割はどのようなものであろうか。安部公房の『砂の女』と大江健三郎の『個人的な体験』においては、主人公たちが夢を持ち、夢の実現に向って格闘する姿が描かれている。
夢に関する二作品の主人公の共通点は、彼らにとって夢が現実逃避の手段となっている事であり、相違点として一人は形は違っても夢を実現していて、もう一人は夢を実現していないという事である。
まず共通点から分析する。『砂の女』の主人公仁木順平は都会で教師をしているが、充実した人生を送っていない。作者はその有様を、仁木は川底に埋もれた石のようなもので、生徒たちは川の水のようにその上を流れ去ってゆく、と比喩している。生徒たちは大海へ向けて成長していくが、教師である仁木は変化せず川底に取り残されていくのである。また仁木は妻である仁木しのとも上手く行っていない。かつて彼がかかった性病のせいで夫婦関係も上手く行かず歪んでしまっている。
これらの現実により、仁木は自己の存在理由が見つけられない。彼は昆虫採集の趣味を通して以前家の近くで見かけた、ハンミョウの新種を見つけることを考える。そうすれば昆虫大図鑑に仁木の名前が載り、それが半永久的に残る。これこそが自分の存在理由であり、夢なのである。彼は休暇を取り砂の部落へ新種のハンミョウを探しに出発する。だが、例え新種を発見して思い通りになったとしても、教師や夫という自己の位置付けに対する解決にはならないことに気づいていない。結局仁木の追いかける夢は現実逃避に他ならないのである。
仁木は砂の部落で、砂底の家に住む寡婦と暮らすことを強いられる。砂の侵入から部落を守るための砂搔き要因として捕らわれてしまったのである。当然仁木は都会に戻るために何度も脱出を試みる。自己の夢の実現はこの家の中では不可能だと考えているからだ。だが、時間と共に非日常的空間であった砂底の家が日常化していく。都会と部落を、自分の妻である仁木しのと砂の女とを比較することによって、自己の存在に対する価値観が変化していく。作者はこの変化を、三人称小説でありながらも仁木の一人称的語りを増やして、効果的に表現している。
『個人的な体験』の冒頭において主人公の鳥(バード)は、生まれてくる赤ちゃんを待っている。彼はかつて卒業した官立大学の大学院生であり、英文学科の主任教授の娘と結婚したのだ。普通に考えればエリートで出世階段を順調に上っていると言える。ところが結婚してすぐに彼は四週間のあいだウィスキーを飲み続け、大学も退学してしまう。義父に予備校の教師のポストを斡旋してもらい、現在そこで働いている。
彼の妻は今正に出産に臨んでいるのに、鳥は書店でアフリカの地図を眺めている。彼の夢はアフリカを旅行して冒険記を出版することだ。途方もない夢であるが、鳥にとって何よりも重要な事であった。故に将来の主任教授も夢ではない好位置にいながら、自分に納得していない。妻が産みの苦しみを体験しているのに、見果てぬ夢の地図を眺めている。この時点においてはやはり鳥の夢は現実逃避と言われても仕方がないであろう。
ようやく生まれた子供には障碍があった。ただでさえ赤ちゃんは、鳥を夢から遠ざける存在、つまり夢にとっての敵であったのに、障碍児で産科の医者によると長生きはできないそうなので、鳥は赤ちゃんの死を願い、大学病院の医者に消極的殺人まで依頼する。夢の実現のための行為であるが、罪悪感と羞恥心に強く苛まれる。鳥が閉鎖状況に追い込まれるに従って、現実逃避の欲求が強くなっていく。
二作品の相違点を考察していく。『砂の女』の主人公は、形は違うが夢を叶える。彼の夢は新種の昆虫の発見により自己の名前を半永久的に残し、存在理由を確立することだ。だが彼は非日常的環境の砂底の家で種々の体験をし、砂に対する概念も変化し、部落での生活にも日常がある事を実感していく。下品な漫画に大笑いし、砂の女にラジオを買ってやろうと考え、楽しい時間も増えていく。
ニワハンミョウのことは余り思い出さなくなって行くが、脱出への希望はまだあり、烏を捕らえて伝書鳩代わりにしようと罠を作る。ところがある日罠の底に水が溜まっていることに気づき、大きな転換を迎える。穴底の家では水は労働の対価として支給してもらうので貴重であり、労働を強制される原因となっている。自分で水を得ることができれば、その生活は一変する。彼は穴底の家にいながら、外にいるのと同じ状態になったと自覚する。
砂の女が妊娠し、子宮外妊娠となり彼女を隣町の病院に運んだ際、地上への縄梯子が残される。突然脱出の機会を得た仁木は地上を目指すのだが、溜水装置に目がとまる。この装置の重要さを理解できるのはこの部落の人たちしかいない。溜水装置の発明者である仁木は、この装置によって思いがけず存在理由を得ることができたのだ。昆虫の新種発見ではなく、溜水装置によってそれが可能になったので、彼は自分の意思でこの家に留まる。それがエピローグに現れる家庭裁判所の書類によって表現されている。仁木は別の形ではあるが夢に辿り着いたのである。結果的に夢は仁木が幸福を見つけるの補助する役割を果たしている。
『個人的な体験』のバードは赤ちゃんを殺すのは赤ちゃんのためにも良いのだという自己欺瞞に逃げようとするが、逃げ切ることはできない。妻は赤ちゃんの名前は菊比古にすると、鳥がかつて見捨てた友人の名前を挙げる。鳥に現実から逃げないで欲しいのである。大学病院の医者が裏切り、勧められた菊比古の手術を拒否した鳥は、大学時代の友人で夫の自殺によりやはり現実逃避をしている火見子と共に、菊比古を自分たちで処分しようとする。だが、死んでいる雀の死体を避けて車を溝に落としてしまう火見子も、赤ちゃんを殺す覚悟はできていないのだ。
赤ちゃんを火見子の知り合いの産科の医者に預けて、今はゲイバーを経営している菊比古の店で二人は酒を飲む。そこで自分は一体何から逃げようとしていたのか鳥は考え、何もないことに気づく。火見子の資金援助の申し出にも拘わらず、アフリカ行きの夢は現実逃避で自己欺瞞である事を自覚する。そして、雨の中タクシーを飛ばして、赤ちゃんを救いに向かうのである。
エピローグでは、無事に手術を終えた菊比古とバード夫婦、義父母が描かれている。菊比古は何らかの障碍が残るかもしれないが、鳥は彼を支えて生きていく決意を語る。この作品において、主人公の夢は途中で潰えたが、家族を含めた幸福な姿が描かれている。アフリカ行きの夢は消えたが、その夢は鳥に幸福への道を教えるという役割を果たしている。
二作品において、両主人公が夢を持つことは「現実逃避」として描かれていたことは共通していた。だがその夢を実現できるかどうかという点については相違していた。それにも拘わらず、二人とも最後にはそれなりの幸福を掴んでいるのである。ということは、例え現実逃避であろうと、夢を持つことによって幸福に到達することは可能なのだ。夢を持つことは、幸福への一歩となる役割を持っているのである。もちろん、主人公たちは自己を見つめ直すことにより、その夢が現実逃避である事を自覚し、新たな道を歩き始めている。そのような自己観照の重要性も、安部公房と大江健三郎のメッセージあると言える。